2018年1月29日月曜日

未成年の結婚と離婚

未成年が結婚するときは、十分な判断ができない年齢という理由で、両親の同意が必要になるが、未成年が離婚する際は両親の同意はいらない。
これは、婚姻した事で、成人と同じ能力を持っているとみなされるため。

2018年1月22日月曜日

シロガネーゼとは

こんばんは、こうちゃんです。

こちら、一時期話題になりました、
シロガネーゼという言葉の、意味と、蔑みのすごい解説とをこちらで

シロガネーゼ

シロガネーゼとは、東京都港区白金および白金台に居住する専業主婦、または近隣エリアに居住し白金および白金台でショッピング、食事などを楽しむとされる女性のこと。
なお、名の由来となった地名である「白金」は「しろかね」と読み、濁音は付かない。命名者の事実誤認による造語であり、「しろがね」と読むのは牛込の「白銀」である。

という、金持ち主婦を指していたのですが、
まあ、それを若干妬みも入れて解説すると

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q131327433

結構ひどいことになりますw

家事とか仕事とかしたくなくて、好きな人と結婚するよりも、一生働かないで、美味しいものを食べて、きれいなものを身に着けて、エステに行って、だらだら過ごしたい女性が、若いうちに、チビ、デブ、ハゲで教養やセンスを持っていなくても、お金だけは沢山持っているオヤジを、とっ捕まえて結婚して、白金台(白金は下町、町工場街)のお屋敷や高級マンションに住んで、朝、子供を有名幼稚園に送って行って、昼には迎えに行くこと以外は仕事は無いので、後は、白金台や銀座あたりで、お洋服を買ったり、エステやマニキュアやお稽古事、1杯1200円の紅茶やコーヒーを出すケーキ屋さんでお喋りしたり、美容室に行ったりして一日を過ごし、夜は夫の飾り物として、各種パーティーに出席することで生きている人達。

いやいや、この表現は鬼ですねw
まあ、ハイソな奥様勢の称号、と思っておきましょう。

こうちゃん

2017年12月20日水曜日

パンダの食費

こんばんは、こうちゃんです。

今回は動物園の子供の人気者の代表格、パンダ、の雑学。

いつも笹を食べているイメージのあるパンダ。

一見草食動物かと思いきや、その大腸も小腸も肉食動物のものと変わりありません。
それゆえ、上野動物園のパンダの場合は毎日、笹やリンゴなどの他にも馬肉を与えられています。

ちなみにジャイアントパンダの一日の食費は10850円。

若干高いように思えるかもしれませんが・・・体大きいからよく食べるのでしょうし、そもそも、元は中国の山の中とかで暮らしていたのを人間の都合で、言葉も通じない異国(いや、同国でも言葉通じないでしょうけど)に連れてこられて、半ば見世物にされているのですし、少々食事の贅沢くらいは目をつぶってあげましょうよ。

こうちゃん

2017年11月17日金曜日

ホストクラブの売れ筋

こんばんは、
燃えPaPaです。

今回は、あまり使う機会のある人は少ないかもしれない雑学

ホストクラブではシャンパンを勧められる。
炭酸なのでボトルキープできない。
来店のたびに注文してもらえるから、儲かる。

確かに、
店的には、お酒は高利益商品で、ガンガン頼まれるほど儲けに、
そして、うまいことボトルキープできないので、
毎回飲み切ってもらえれば、
そりゃあ儲かりますよね。

切ない事情ですね。
まあ、行きたい人が行って、
払いたい人が払ってる分にはいいんですけどね。


燃えPaPa




2017年8月3日木曜日

「情けは人の為ならず」の誤解

こんばんは、
燃えPaPaです。

近年誤解の多い日本の格言のひとつをご紹介。

こちら、

情けは人の為ならず


原義
「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味である。

これが近年では、多くの人に、
相手のためにならない=情けをかけるのはやめよう
の意味で解釈されてしまっているそうです。


原義と異なる解釈

1960年代後半、若者を中心に言葉の意味を「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」
という意味だと思っている者が多いことが、マスメディアで報じられた事が話題となった
(この意味を持つことわざは「情けが仇(相手にかけた情けが逆に悪い結果を招く、という意味)」である)。

2000年頃より、再びそのように解釈するものが増えていると報じられる。
平成13年(2001年)の文化庁による『国語に関する世論調査』では、この語を前述のように誤用しているものは48.2パーセントと、
正しく理解している者の47.2パーセントを上回った。

この諺の原義と異なる解釈の根本は、「人の為ならず」の解釈を、
「人の為(に)成る+ず(打消)」(他人のために成ることはない)と、中世日本語の意味合いを誤って理解してしまう所にある。
本来は「人の為なり(古語:「だ・である」という「断定」の意)+ず(打消)」、
すなわち「他人のためではない(→自分のためだ)」となるからである。

このため、人の為にならないとなれば『情けは人の為なるべからず』となる。

この諺の原義と異なる解釈が広まった背景には、現代日本語文法が普及して、中世日本語の意味が日本国民の意識から次第に薄れつつあり、
その上に現代日本語での解釈と、現代的な価値観を合わせてしまった事が考えられる。
「情けは質に置かれず」(経済的な意味のない情けは役に立たない)とか、「情けが仇」ということわざがあることも、
この諺の原義と異なる解釈を広めた一因でないかとも言われている。


成り立ちまで理解すれば誤解もしないと思いますが、
日本語の文法にまで踏み入ると、
色々と難しいですね。


燃えPaPa